2017年10月29日 (日)

腱鞘炎 予備軍

やってしまいました。

11月3日にピアノレッスンを予約したため、昨日今日の土日、たっぷり練習したのはよいけど、右手薬指を痛めてしまった。腱鞘炎などという高級なものではないにせよ、結構ヤバい状態。

何かいけなかったというに、シンフォニア1番の17小節目。

最初からこの部分はやりにくかったので、この週末にシューチューしたのが見事に裏目に出た。痛い・・・sweat02

でもね、でもね!

3声の素晴らしさ、堪能してます。

先生はなんとコメントされるか分からないけど、確かにオイラの両手から、3つのメロディが流れているような気がする。

ポリフォニーっていいなぁ・・・heart04

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2017年10月 7日 (土)

シンフォニア 第1番

先日、出張から帰り、次の出張までの1ヶ月間で集中してバッハのシンフォニア1番に挑戦している。使用楽譜はブゾーニ版とハンナ出版社のふたつ。初めての3声である・・・、でもないか。イギリス組曲の4番でも今格闘している2番でも、ところどころ3声の部分は出てきているので。

でもこんなにちゃんとして目一杯「3声」を主張している曲に取り掛かるのは、これが初めて。
相変わらず「変態的」な運指に恍惚と戸惑いを覚える。
基本はハンナ出版のものを使用し、適当にブゾーニ版と見比べたりして。
弾けないけど、楽譜見るだけでも楽しいですね。
オイラの場合、普通はまず左手から取り掛かることが多いのですが、この曲はやっぱり右手からでしょう。右手だけで2声の使い分け部分が多いので、まずはコイツをなんとかしなくちゃ。
次のレッスンのアポ取りはまだちょっと先。もうちょっと形になってから。
10月末か11月始め辺りかな・・・。
まぁ、なんとなくシンフォニア1番もサマになってきたような、ならないような???
イギリス組曲の2番もできないところを集中して繰り返している。少しはサマになってきたかな?相変わらずスピードは出ないけど。
右手と左手が揃わないところがあり、そこは付点のリズムにして繰り返して練習している。
この付点リズムの練習、とてもイヤなんだけど、でもある程度効果があるのでやむを得ず。
シンフォニアに集中していると、イギリスで以前無難に弾けていた箇所が急に間違えるようになったりして、実力のなさというか、基礎の弱さを痛感している。

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2017年9月 3日 (日)

ショパンの思い出

中学3年の冬休み、レコード(と言ってももうご存じない世代が多いのか?)を買うための小遣い欲しさに、年齢をひとつサバ読んで、アルバイトに行っていた(そもそもアルバイトは16歳=高校1年生から)。

アルバイト先はビール工場での日雇い仕事。受付順に内勤から始まり、受付が遅いと外勤(=出荷作業⇒キツイsweat01)に回されるため、やたら朝早く起きて工場に行ったものだ。
(因みにオイラの学校は中高一貫の男子校。よって中3の冬休みなんざ、暇でヒマで・・・smile

朝が早いため、テレビを点けてもまだ番組は始まっておらず、画面にはテストパターンが写し出されいるのみ。背景にはピアノ曲が流れていた。

毎朝同じ曲が流れ、その時は「きれいな曲だな~」くらいにしか思っていなかったが、1、2年程経ってから、それがショパンのワルツ(Op34-2)だということを、偶々ラジオのFM放送でこの曲が紹介されて初めて知った。その後もこの曲がラジオで流れることは余りなかったが(人気がないのか?)、運よく聴くことが出来た時などは、全身を耳にするが如くむさぼるように聴いたものだ。

当時レコードは高く、学生は音質の悪いFMラジオに甘んじるしかなかった。更にFMラジオでもクラシック音楽を放送する時間帯が限られており、番組表を買って放送をチェックしたものだ。今のように聞きたいときに好きな曲を自由に聴けるわけではなく、聴きたい曲は放送局により「偶然与えられるもの」に近かった。

このような境遇の中で、ある日、番組表から、丁度学校の休み時間にこの曲が放送されることが分かった時があった。その日、休み時間になると、外に出て持ち込み禁止のラジオをこっそり点けて、雑音がガーガー鳴る中で、既に曲の途中に差し掛かったOp34-2に聴き入ったことをよく覚えている。

 

光陰流水・・・。

 

それから丁度40年。
55歳の自分がこの曲を弾いていた。

当時、眠い目をこすりながら時計代わりにつけていたテレビから流れる曲に耳を奪われた15歳の少年が、まさか丁度40年後に自分でこの曲を弾くことになろうとは夢にも思わなかった。
当時は所謂「サビ」の部分(37小節目から)が気に入っていたが、自分で弾いてみるとcodaの部分に特に惹き付けられる。自分で弾くことによる新しい発見というものであろうか。

バイト代は1日働いて確か3000円ちょっと。当時の中学生にすれば結構な小遣いであった。何のレコードを買ったものか覚えてはいないが、恐らくバロック音楽であったに違いない。当時だいぶ熱を上げていたのがバロック音楽だったから。そしてオイラの早起きに付き合い朝食を作ってくれた、今年85歳になるお袋はまだ健在である。


そんなオイラは今月60歳。このショパンのワルツOp.34-2を弾いていたのも今から5年前のことだ。この曲を初めて聞いた中学3年の時から既に45年も経っている。

 

ショパンのワルツOp34-2。生涯忘れられない思い出の曲のひとつである。

 

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2017年9月 2日 (土)

イギリス組曲

「イギリス組曲」と言えば、誰もがバッハのそれを思い浮かべるだろう。

無謀極まるヲジサンとて例外ではない。

イギリス組曲第4番プレリュードを楽しんだ後、現在は第2番のプレリュードを楽しませてもらっている。

実は家族から「4番はもう聞き飽きた」と苦情が入ったので、別の曲を弾かざるを得なくなったというのが実情なのだが。

ご存知の方もいらっしゃるでしょう。このイギリス組曲第2番のプレリュードは映画「シンドラーのリスト」の中で使われている。「水晶の夜」と言われる場面、ナチスがユダヤ人ゲットーを襲撃する最中、一人のナチスが、今や持ち主のいなくなったピアノでこの曲を弾くのだが、それがすごい!というか、さすがはスピルバーグ!演出効果抜群である。

この曲はこれ以上ないというほどバッハらしい曲であり、淡々と(しかし性急に)リズムを刻み続ける。その一方、周りはナチスに追われるユダヤ人の阿鼻叫喚に満ち溢れている。その対比が印象的でもあり、またこの淡々とした曲がなおさら周囲の地獄絵を際立たせているともいえよう。更にこの「最もバッハらしい曲」を、二人のナチスの会話「これは何だ?バッハか?」「いや、モーツァルトだ」と言わせているところに、ナチスの無知さ加減を表現しているのだろう。さすがスピルバーグの皮肉がピリリと利いている。

4番に比べると、左手の動きの速い箇所は少ないが、なにせテンポが速い。おまけに全体が長い。また弾くポジションも広範囲に亘っている。無謀だ。ヲジサンには無理というものだ。でもそこそこ形になっている(と、自分では思っている)。そこそこ楽しんでいる。いや、思いっきり楽しませてもらっている。

本日アマゾンでシンフォニアの楽譜が届いた。勿論ここで言うのはバッハのシンフォニアのことである。

新しい先生の下、このシンフォニアと格闘してみるつもりだ。

⇒8月末から新しい先生のレッスンが始まったのだ。暫くブログは休んでいたが、ピアノは、はい、ずっと続けていましたぜ。

あ~、当分バッハからは離れられない。

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2016年4月20日 (水)

ピアノ、弾いてます。

なぜか、ひっそりとブログ再開。しかも気まぐれに戯れに。

ブログはサボれども、仕事もサボれども、ピアノだけは、これまたひっそりと継続中。

現在はなんと!あろうことかバッハのイギリス組曲第4番から、プレリュードをガチャガチャと弾いてます。

ブログをサボってる間に弾いてた曲で印象的だったのは、ショパンのワルツ、op34-2。これには40年前の思い出が淡く重なる。

これについてはまた別の機会に書くかな~。

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2011年12月10日 (土)

ヤマタノオロチ

 

前回出来もしないドイツ語に少し触れたので、今回もまた見栄を張って、ドイツ語を引用してみた。 駄文が少しは格好がつくかどうかeye

 

ドイツ語のスリッパ(Pantoffel)という単語には面白い使い方がある。

●日本語で「尻に敷かれる」ということをドイツ語ではunter dem Pantoffel stehen(スリッパの下に立つ)と言うらしい。
●女性がスリッパの夢を見る(vom Pantoffel traeumen) というのは、従順な男性が現れることの予知夢だそうだ。
●恐妻家のことをPantoffelheld(スリッパの英雄)と言うとも聞く。

 

日本の男性は例外なく奥様の尻に敷かれるものだが、ドイツではスリッパで踏んづけられるのが定番なようだ。ナルホド彼の地では室内でも靴を履いている文化だから、これはやむを得ない。

妻の尻の下にすっかり慣れ安住している我が身だが、一度スリッパで踏んづけられてみたいとも思うboutique 

 

これらの単語や慣用句からわかるように、夫婦間の上下関係(主従関係もしくは隷属関係)はドイツでも日本と同じらしい。 体力的にも精神的にも生物学的にも力の差は歴然としており、ごく自然に上下関係が決定する。 

勿論万人が納得しているように男性がでありでありである。

 

自分の置かれている「下・従・隷」の境遇には何の疑問もないが、常に「何か」に怯え、「何か」の顔色を伺い、「何か」に対して一生涯卑屈に生きていく我が人生の来し方行く末を思うと、万感胸に迫るものがあるfuji

 

須佐之男命(スサノオノミコト)が現れる前の、ヤマタノオロチに怯える村民の気持ちを自然に理解することがができたのは結婚後だ。 オイラはピアニストより民俗学者に向いているのかもしれない。 

須佐之男命はまだ来ない。

 

一般に女性は、結婚後例外なくその隠された能力を速やかに開花させる。 脱皮すると言うべきか進化すると言うべきか、とても同種同族の人類とは呼べない程の能力の差だ。

 

確かに妻の論理的な説得力(口数)は言うに及ばず、判断力(⇒)、計算力(⇒)、行動力(⇒)、経済力(⇒すべて「購買力」に言い換え可能)、そのどれ一つをとってもオイラの太刀打ちできるところではない。いわんや腕力体力知力気力迫力に至っては遠く足元にも及ばない。所謂「位負け」というヤツだdown

 

そして善良にして脆弱矮小な村民はヤマタノオロチには絶対に逆らわない。 須佐之男命は神話の世界にしか現れないことを知っているからだ。 命が惜しければ、大人しく従順でいたほうが賢明だ。

 

ピアノとヤマタノオロチとは関係がない。洗濯とヤマタノオロチの関係も判然としない。分かっているのは今日も須佐之男命は来ないといういことだ。

 

最後に、日本語の「山の神」はドイツ語で何というのか調べてみたらHausdrachenと言うらしい。Drachenとは龍のこと。この龍に頭が八つあったかどうか、覚えていない。

 

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2011年11月11日 (金)

つぶやき・家族コンサート

 

 

先日「家族コンサート」と称して、レッスン前日の夜、夕食後に家族の前で課題曲を披露した。
 

会社から帰って食事をした直後に長女A子から「ささ!オトーさん、コンサート開くよ。早くピアノの前に座って!」と急かされたのである。 

「ち、ちょっと待ってくれ!前日は帰宅が遅かったので、丸二日振りのピアノだ。少し指馴らしの時間をくれ~!」と哀訴と愁訴と恨訴を繰り返したのが聞き入れてもらえず、やむなくソースのついた指をちゅっぱちゅっぱと舐めながら被告人席、じゃなくピアノの前に座った。


課題曲は3曲。 

 

最初のチェルニー(70番)はアルペジオの上りと下り。

予想通りボロボロsad そらみろ! 指馴らしもなく、いきなり弾いても指がこんなに広範囲に動くわーけがないpunch

 

2番目はシューマンの「幻想的な舞曲」。Phantasietanz_2


こっちも実はボロボロだったのだけども、比較的速い曲でペダルの効果(ごまかし)もあり、ウチのレベルの高い聴衆にはオイラの「ボロ」さ加減に気が付かなかったようだ。

 

3曲目はクレメンティのソナチネ(op36-5)。

 

これが見事に予想以上のボロボロで、ミスタッチの連続に焦りまくり、暗譜していたつもりが、展開部に入ったところでとうとう頭の中が真っ白になり、どうしても先に進めない。結局その場で中断、挫折、敗退、退場の憂き目に・・・。


辺りは水を打ったようにシーンと静まり返り、そしてお互いにこの時間が息苦しい・・・shadow

演奏者と聴衆の精神の交流と葛藤に額から汗が滴り落ちる。

 


「そ、それじゃー私は食事の後片付けが・・・sweat01」とか言いながらオクサマがまず退場。

「アルペジオは、み、水が流れるようだったね~sweat01」とA子とB子が顔をヒクつかせ不自然な会話を交わしながら退場。

 

そこで反省してろと言わんばかりにドアもぴったりと閉ざされ、後に残されたオイラは放心状態で鍵盤を見つめるばかり。

 

趣味で弾いてるピアノなのに、なんでこんなに辛い目に遭わなければならない? ほんの5分前の家族の団欒はどこへ行ってしまったのかsweat02 

更に言わせてもらえば、今夜のこの失態を見事に雪ぎ、家長としての名誉と威厳と尊敬を取り戻せる日が果たしてくるのだろうか?



後で伝え聞いたところによると、当夜真っ先に退場したのは柴犬のクリだったらしいdog オイラの焦り苛立つ様子を敏感に感じ取り、さっさと安全地帯に避難したそうだ。


おいコラ!クリ!せめてお前位最後までオイラの味方しろ!と睨んだら、ワン!と吠え返された。


捲土重来はあるのか?風雲急を告げる次回に乞うご期待!!

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2011年10月16日 (日)

もしもピアノが弾けたなら

 

昔そんな歌が流行ったな。

はい、その当時オイラはもう既にヲヂサンでしたが、この歌を聴きながら、「本当にピアノが弾けたらなぁ・・・」と思ったものでした。

「もしもピアノが弾けたなら・・・」 これは文法的には仮定法過去、ドイツ語では接続法2式の「非現実話法」を適用させるところです。

 

「イフ・アイ・ワー・ア・バード」 というやつだな?

その通りです。「もしもピアノが弾けたなら・・・」の部分が非現実の仮定(=即ち現実はピアノが弾けない)で、その後に「そうだったらいいのになぁ」という想いを訴えます。あるいは「もしも妻から命じられた洗濯物たたみと風呂の掃除を拒否できらたいいのになぁ(⇒できっこない!)」という叶えられない願望を嘆息するのです。

 

「叶えられない願望を嘆息」・・・まさに哀れなヲヂサンの毎日そのものだな。

この非現実話法というのは、英語でもドイツ語でもそして日本語でも過去形を元にしているというところに注目です。

・If I could  play the piano

・Wenn ich das Klavier spielen koennte

・もしもピアノが弾け  なら

 

現在の事柄を過去に託して言うところに、非現実なニュアンスが醸し出されています。

 

 

歳を取るとやたら過去を振り返り、懐かしむと言うな。

・・・がしかし、ご安心ください!今や仮定法過去は過去のものとなり、非現実話法は現実のものとなりましたscissors

「もしもピアノが弾けたなら・・・」 

ワハハ!それはもはや過ぎ去った遠い過去のことです。今やヲヂサン・ピアニストとして都内の某ピアノ教室でその名を知られる存在になりましたgood

 

都内某ピアノ教室限定かい?

はい、ヲヂサン・ピアノの技法は「神の手」ならぬ「ドラえもんの手rock」として広く美人ピアノ教師並びに幼稚園児童たちを旋律させているようです。

 

受け狙いか? 「ねー、ちぇんちぇー。あのヲヂサン、性懲りもなくまたレッスンに来ちゃったー。蹴り入れて追い返ちてー」という戦慄だな?!

 

もしもピアノが弾けたなら

思いのすべてを歌にして

きみに伝えることだろう

雨が降る日は雨のように

風吹く夜には風のように

晴れた朝には晴れやかに

だけど僕にはピアノがない

きみに聴かせる腕もない

心はいつでも半開き

伝える言葉が残される

アアアーアア 残される

 

もしもピアノが弾けたなら

小さな灯りを一つつけ

きみに聴かせることだろう

人を愛したよろこびや

心が通わぬ悲しみや

おさえきれない情熱や

だけど僕にはピアノがない

きみと夢見ることもない

心はいつでも空まわり

聴かせる夢さえ遠ざかる

アアアーアア 遠ざかる

(作詞:阿久悠 作曲:坂田晃一)

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2011年6月20日 (月)

つぶやき・買い換え

人生、やり直しがきかない代わりに、幾つかのものについてはリセットさせ、やり直しさせるべく、節目節目に「買い換え」という作業を行ってきた。

たとえば・・・


●犬dog
初代クリ:ワイヤーへヤードフォックステリア
2代目クリ:シェットランドシープドッグ
3代目クリ:黒柴

我が家では犬は代々「クリ」と命名される決まりである。洋⇒洋⇒和と来ているが、現在の「和」が一番カワユイ。一番おバカで愛想のないのも今のこの「和」であるが、おバカであるが故にカワユサもひとしおであるheart04

実は2代目クリも柴犬と決めていたのだが、犬屋でシェルティーが擦り寄ってきて、その余りのカワユサに情がほだされ、我が家の一員として迎えることになったのだ。そこの犬屋ではシェルティーは柴犬の倍位の値付けであり、今から思うと、この2代目クリは犬屋の主人から「それ!カモが来たぞ。練習通り上手く媚を売ってこい!」というミッションを与えられていたのではないかと疑問を持っている。



●バイクbicycle
初代 :カワサキZ(形式不明の400CC)
2代目:ヤマハXS250(大阪で購入)
3代目:ヤマハXS750スペシャル(大阪で購入後、留学前に譲渡)
4代目:ヤマハV-MAX(帰国直後に購入)
5代目:ヤマハV-MAX(ドイツで購入⇒その後日本に持ち込み)
6代目:ヤマハV-MAX(原付と衝突するまで乗り⇒)
7代目:ヤマハV-MAX(⇒相手の保険で購入)

大学時代にパイクの免許を取り、ドイツ留学の1年間の空白期間を除き、常に我が傍らにはバイクがあった。留学後暫くして再度5年ほど渡独したのだが、その時も入国早々にバイクを購入した。バイクと接してきた我が半生がここに投影されているではないか。

ヤマハのV-MAXというバイクに惚れ込み、同じ機種に何度も乗り換えているという事実から、浮気しない実直堅実篤実な性格が明らかである。結婚相手としてはまさに理想の男性と断言できる。

⇒いや、一説には「ことほどさように浮気っぽい」とも解釈できるのだがcoldsweats01



●電子ピアノnote
初代:カシオ
2代目:ローランド
3代目:ヤマハ

このたびめでたく電子ピアノを買い換えたbellshine 

「買い換えのサイクルが早いじゃないか!」という非難や「腕に応分のものにしたらどうか?」という疑問、更には「家のローンは大丈夫か?」というご心配まで多数のご意見を頂戴したが、「よくやった!」と賞賛し、快哉を叫ぶものは皆無であった。

これまで電子ピアノは、その主役としての威容も誇らしく、堂々と洋間に安置されており、オイラも家族の尊敬を集めつつ、温かい眼差しに守られ、励まされながらピアノ道に精進邁進猛進していたのだが、今回の買い換えを機に、狭い和室(=我が家では「納戸」と呼ばれている)に追いやられることになった。「オトーさんが納戸に引き込もりで可哀想」と子供たちが同情してくれる一方で、「ね、オカーさん、このアイス美味しいねheart04」という家族団欒の楽しげな会話が扉の向こうから聞こえてくるに至っては、隣の洋間が気になって練習に集中できないsweat02

写真は買い換え前(写真上:ローランド)と買い換え後(写真下:ヤマハ)である。弾けもしないくせに見栄を張ってバッハのイギリス組曲の中から、一番オタマジャクシの密集度が高いページを開いてある。壁のクリと、ピアノ上の栗と椅子の中のクリがチェックポイント。

Img_1263


Img_1270

ライフステージの推移に合わせ、順調に買い換えが進む一方で、「買い換え」という選択肢に猛烈な魅力を感じつつも「諸般の事情」に加え、節減/節約/省エネ/環境保護/安全管理/危険物取扱注意/空襲警報発令/非常事態宣言という社会的使命遂行並びに社会的秩序維持のために買い控えたものもある。


●ニョーボban
初代(新品)
初代(軽中古)
初代(中中古)
初代(重中古)
初代(故障中)

近々廃棄処分にするつもりであったが、先日「ある朝、目が覚めてみたらゴミ捨て場で可燃物用のビニール袋の中で寝ていた、なんてならないようになさいね~heart04heart04」という天の声(=女性の声だった)が聞こえた。


鼻緒が切れ、茶碗が割れ、目の前を黒猫が横切り、カラスがカ~と啼いたので、まだ廃棄する勇気が湧いてこない。

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2011年4月17日 (日)

つぶやき・見学者あり!

先日(といっても、実はもうか~な~り時間が経っているのだが)オイラの演奏を生で、間近に、しかも愛を込めて拝聴したい!という部外者のうら若き女性が出現したheart04 しかも2名も! しかも別々の日に! しかも4回もshine

先に種明かしをするならば、この部外者とはオイラの長女A子と次女のB子である。 A子の顔には「ヒ」という文字が、そしてB子の顔には「マ」という文字がくっきりと浮かび上がっている。

一番最初にレッスン見学に来たのは某大学院生のA子。 大学生はヒマなもんだが、大学院生はヒマの親玉のようなものらしい。

先生の横にちょこなんと座っているA子。 オイラの演奏を一生懸命に聞くのはいいが、縦に首を振りながらリズムを合わせようとしている。

よせ! オイラの視界の隅っこで演奏に合わせて首を振るのはヤメロpaper! 今弾いているのはバッハだ。 バッハを聞くときは首を振ってはならんというバロック音楽の常識を知らないのか。 ああ・・・そんなに首を振られると、オイラの首も上下に振れてくる。 助けてくれ! 敬虔なカンタータがズンタッタみたいな演奏になる。 これじゃーまるで盆踊りだrun



「オトーさんが面白かった」という感想を聞いて、別な日に見学に来たB子。 最初来たときは某高校3年生だったが、結局某大学1年生になるまで合計3回聞きに来た。 受験はどうした? ヒマなヤツだ。

先生の横にちょこなんと座っているB子。 オイラの演奏を一生懸命に聞くのはいいが、一生懸命に聞き過ぎだ。 見つめ過ぎだ。 動かな過ぎだ。

よせ! オイラの視界の隅っこで塑像の如く微動だにせずじっとオイラを注視するのはヤメロpaper! 今日弾いているのもバッハだ。 バッハを聞くときは首は動かしてはならんが、目は適当にキョロキョロさせるべしというバロック音楽の鉄則を知らないのか。 そんなに凝視されると手がこわばり、全身に緊張が走る。 お慈悲を! 簡潔なインベンションがべちょべちょのインションベンになるsweat01

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